それは、どこにでもある穏やかな日曜日の午後だった。田中家では、小学生の息子である健太が少し風邪気味で、リビングのソファで鼻をすすっていた。高砂市でトイレつまりが必要になった配管を交換すると母親の良子は、そんな健太のポケットに新しいポケットティッシュをそっと忍ばせた。「鼻をかんだら、ちゃんとゴミ箱に捨てるのよ」。そう優しく声をかけたが、ゲームに夢中な健太の耳には届いていなかったかもしれない。その数時間後、健太はトイレに駆け込んだ。そして、個室の中でトイレットペーパーが残りわずかであることに気づく。彼は何の気なしに、ポケットの中のティッシュを取り出し、用を足した後に数枚を便器へと流した。その小さな行為が、数日後に田中家を襲う悪夢の序章であることなど、誰も知る由もなかった。 最初の兆候は、三日後の火曜日の朝に現れた。良子がトイレの水を流した際、いつもより水位の下がり方が鈍いことに気づいたのだ。「気のせいかしら」。忙しい朝の準備の中、彼女はその小さな違和感をすぐに忘れてしまった。しかし、その日からトイレの不調は静かに、そして確実に進行していった。水を流すたびにゴボゴボと不気味な音を立てるようになり、時には流れきらずに水が溜まる時間も長くなった。夫の明も「なんだか最近、トイレの流れが悪くないか?」と口にするようになったが、二人とも「そのうち直るだろう」と楽観的に考えていた。まさか、目に見えない配管の奥深くで、あの日のティッシュが汚物や髪の毛を絡め取り、ダムのように強固な塊へと成長しているとは想像もしていなかった。 そして金曜日の夜、ついにその時は訪れた。夕食後にトイレを使用した明がレバーを引いた瞬間、便器の水は渦を巻くことなく、静かに、しかし不気味に水位を上げてきたのだ。「おい、大変だ!水が溢れるぞ!」。明の切羽詰まった声に、良子と健太が駆けつけると、便器の水は縁ギリギリまで迫り、今にも床へ溢れ出そうとしていた。一家はパニックに陥った。明が慌ててラバーカップを試みるも、固く詰まった何かはびくともしない。完全に機能を停止したトイレを前に、家族はなすすべもなく立ち尽くした。たった一つのトイレが使えないだけで、家の中は途端に不便な空間と化し、平穏だった日常はあっけなく崩れ去った。 翌朝、田中家はやつれた顔で水道修理業者を待っていた。駆けつけた作業員は、専用のカメラで配管内部を調査すると、すぐに原因を突き止めた。「ああ、これは完全にティッシュですね。水に溶けない繊維が塊になって、配管を塞いでしまっています」。高圧洗浄機による一時間ほどの作業の末、取り除かれたのは、粘土のように固まったティッシュの残骸だった。健太が流した一枚が引き起こした結末だった。高額な修理費用と、専門家からの厳しい注意を受け、田中家は自分たちの無知と油断を深く反省した。トイレにはトイレットペーパー以外は流してはいけない。この当たり前のルールが、いかに重要であるか。この苦い経験は、田中家にとって決して忘れることのできない教訓として、深く心に刻み込まれたのだった。